1人とポニーと道

ひとりすと日記

天国へ

 2007年12月20日 AM8時30分頃、

愛犬は天国の犬になりました。

この世では14年間、共に暮らしました。

今でも、窓の外には愛犬がいるような気がしています。

庭に出れば、じゃれついて来る愛犬の姿が見えるようです。

芝色の、柔らかな毛並みを感じます。

今は、ほんの少しの遺骨になって、元の寝床に置かれています。

 人でも犬でも、心のある生き物というのは、命が終わろうする時が分かるのでしょうか。

一緒に住む家族全員に会い、それぞれにお別れの挨拶をし終えての旅立ちでした。

 20日朝のことです。

私は、仕事のこともあり、少し疲れていたのですが、その日は少しだけ早目に起きたのです。

そして階段を降りて、

出勤前に、必ず愛犬の様子を見なければ、と思っていたのですが、忙しい朝のこと

仕度を出来るだけ済ませてからにしよう、と思っていたのです。

庭のある側からは、近所の朝のざわめきと共に、聞き慣れない、規則的な何かの

「コン コン・・・」と言う機械的な音が聞こえていました。

それをぼんやりと聞きながら、私は急に、(愛犬の所に すぐ行かなければ)(急がなければ)

(愛犬が危機)と言う気がしたのです。

と同時に(でも、どこへ?)

愛犬が、庭のどこで危機に陥っているか分からないのです。

急げと言っても、どの方向へ急いだら良いのか分からないのです。

焦る、心の隅で戸惑いを感じながらも、ともかく庭に走り出て、駆け出そうとしたその時、

視野の先に、力尽きたように地面にうずくまる、愛犬の姿を発見しました。

機械的な音は、普段、無駄吠えをしない愛犬が助けを呼ぶ、必死の声だったのです。

 防寒着を着せていても、腹側から冷えて、気管が風邪をひいたようになったせいでしょうか。

痰がからんでいるらしい雑音や、喉が腫れ上がっている時のような高い声をしています。

(もしかして、私に会うために、こんな無理を?)

(いいえ、いつものトイレの場所に行こうとして、ここで動けなくなったのかも。)

まずトイレの場所に抱いて行き、身体を支えて立たせ、じっと待ちましたがする様子はありません。

次に、保温しなければと身体を毛布でくるみ、そこに寝かせ、湯たんぽの湯を沸かしました。

 すると愛犬が顔を上げ、しきりに寝床の方角を見るのです。

手をジタバタさせ、行こうとするのです。

私は、愛犬を抱き上げると、元の寝床に連れて行き、更に毛布をかけ、そっと寝かせました。

 頭を支えて、温いお湯や水、牛乳、近頃好物のハムを口の近くに持って行ったけど、

口を開く様子はありません。

可哀想なので、せめて心が伝わったらと、ずっと頭や首を撫でていたら、

もうそんな力なんて無いのに、まるで元気だった頃のように、元気良くシッポを振ったのです。

私はそれを見て、思わず「良いんだよ。気にしなくても」と呟いていました。

(これが最期なのかも知れない。)そう思いました。

 それからしばらくして、温めの湯たんぽを持って戻ると、母が起きて、愛犬に語りかけながら

撫でていました。

(おやすみ。ゆっくり眠るんだよ。今までありがとう。)

私は、母に事情を説明して湯たんぽを置くと、心をそこに残して、急いで出勤しました。

 その日の朝、仕事をしていると、すっかり元気になった愛犬が、私にじゃれているような

気がしたのです。

いつものように、私の足に前足をかけたり、私の顔をなめたり、周りを駆けたり。

(顔をなめるのは、いつも「ダメ!」と言っているので、その時も心で

「ダメだよ」と愛犬に言ったのです。)

私は漠然と、

(ああ、挨拶に来てくれたんだね。ありがとう。でも、もう私の事なんて気にしなくても良いんだよ。

心置きなく、お前の次の幸せをこそ考えるんだよ。

元気になって、天国に行くんだね。何て楽しそうなんだろう。

…お前は可哀想な生い立ちだったけど、次はきっと、自由に訴えられて自分で何でもできる、

人間に産まれるんだよ。

大金持ちの家の娘さんに、そして、きっと幸せになるのよ。)

そう語りかけていました。

 愛犬は、心優しく賢い犬で、いつも私達を慕ってくれ、思えば、本当に気の毒で、

悲しい運命を背負った犬でした。

愛犬の本当の家族は、この子や兄弟達が産まれて、まだ1月と経たない内に

家族全員、保健所の処分に出されたのです。

この家族の中で、その時を生き延びたのは、多分、たまたま妹に貰われたこの子一匹だけ。

この子は特に甘えん坊だったらしく、最後までお母さんにくっついて離れなかったそうです。

妹に抱かれて家に来る時、幼いながらも、家族との永久の別れが分かるのか、

聞けば胸が苦しくなるような、とても悲しい声で泣き叫び続けていたのを覚えています。

 家に来てからも、それがトラウマだったのか、それとも幼な過ぎたのか、

片手に乗ってしまうようなサイズだったその子は、とても甘えん坊で、抱っこが大好き。

いつも人の足にまつわりついて離れず、踏まれて危ないので、洗濯物を干す母に、

愛犬を中に入れ、首から下げて作業する、「犬袋」を作ったのです。

いつも人とくっついていられる「犬袋」は、幼かった愛犬も気に入ってくれたようで、

中に入れられて、母の顔を見上げながら、安心しきったように大人しくしていたのを覚えています。

 大きくなってから、散歩に行って鎖を外しても、私達の「におい」ではなく「姿」が見えなくなる

所には絶対に行かないし、そんな距離まで、決して離れようとはしませんでした。

(年老いて、少し認知症の症状が出始めてからは、一度だけ20分間、迷子になりましたが。)

散歩の帰りには、自分から、私が手に持つリード先の金具をそっとくわえて、自分で「お座り」をし、

(私にこれを付けて、連れて帰って)と、催促するのです。

 またある時、庭で、ふと思い付いて(苦しいだろうから)と首輪を外してあげた時の事。

愛犬は、(また捨てられる?)と不安になったのか、まるで「それを外さないで」と言うように、

私が外して手に持った首輪を、そっと噛んだのです。

 家族で、心の一部だった愛犬が亡くなって、家族が減ることを実感しました。

言葉は通じなくても、心はあるのだ、と思います。