1人とポニーと道

ひとりすと日記

旅1最長走行記録 (※画像はクリックで拡大するものもあります)

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 2007年5月1日、今回は、そこに住む身内や、そこに遊びに行った家族達が繰り返す、

「K井沢はいいよ~ K井沢はいいよ~ K井沢はほんとに良いよ~」の輪唱にのせられて、

(たまには違うとこに行ってみよう。そろそろ他でもお気に入りの場所を見つけておかなきゃ。

行動範囲も広げないと。少し距離を伸ばしてみたいし。釜飯、食べたいし。一面の溶岩見たいし。)

と、K井沢と群馬県に行って来ました。

 今回は所要22.5時間、走行距離639.9km。これまでよりも+100km。

100km伸びたものの、眠くなったら仮眠したので、疲れ具合はいつもの旅とそう変わりません

でした。

 群馬県の応桑まで行ったけど、地図で見ると、日本海まではあと少し、

ここまでの太平洋からの距離の3/1程度。

 (あと一息で日本海まで行けるけど、そうすると多分、24時間では納まらず、26~27時間位に

なるかな。上越自道なんかもあるし、それを使えば時速100キロでも進めるし。)と、

いつか行って見たいと思っている、日本海も行けそうな気がしてきました。

 こんなことが出来るのは全て、丈夫で元気で小回りも利いて身体がずれず、疲れず

乗り心地が良い愛車のお陰。いつも大感謝しています。(笑)

 今回の予定では、まず営業時間無関係の「岩田村自生ヒ力りコ゛ケ」を見、

次に7時半頃から売り始めると言う、佐久イソタ一前か軽井沢新幹線駅構内の

峠の釜飯「おき゛のや」で朝食釜飯を買い、 北上して右にそれ「滝」を見、

更に北上して群馬に入り左にそれ、浅間火山博物館・鬼押出園を見、

戻って北上して「応桑」の郵便局近くの地鶏やさんで、昼食として名物・地鶏の釜飯を食べ

Uターンして中K井沢近くの「野鳥の森」を散策、渋滞するなら少し戻り

街の裏道を利用してR|8へ。

11時頃から釜飯を売り始める「おき゛のや追分店」か

新幹線駅か佐久イソタ一前で、家族へのお土産として釜飯を買い

帰りに野辺山駅近くの「JR最高地点」を撮影、更に出来れば清里駅前でソフトを買い

気が向けば辺りの観光地にも立ち寄る、というものでした。

 今回は、地元民が「夏は平日でも土日でもいつも渋滞してるよ。変わらないよー。覚悟して来てね。」

と言うので、前回のお気に入りの場所行きよりも更に早い、八イツ一ズソ版出発をする事にしました。

天気予報は列島全体雨。スポット天気では12-15時弱雨、それ以外曇り、との事でした。

 全国天気予報は悪天だし、1日2日が平日だったせいか、行きも帰りも渋滞ゼロ!!

海側の国道でさえ、帰りの時間が遅かった事もあり、いつもより物凄く早く通り抜けられました。

 ただ、お天気はとっても悪くて寒くて、浅間山も殆ど見えませんでした。(笑)

でも、この辺りはまだ濃淡のピンクのさ<らが満開で、ほんとにきれいでした(笑)。

 岩田村のヒ力りコ゛ケは、その付近が工事中で、通りすがりの地元の方にお聞ききしたり、

愛車でぐるぐる1.5時間程探したけど見つからず、諦めてK井沢に向かいました。

 そろそろ通勤時間で車が増えて来たのを見て、販売開始時間の遅い釜飯は後回しに。

コンビニで軽食を買い、滝へ。

 滝は有料道路途中にありますが、係員さんがまだ来ていなかったので、行きも帰りも無料でした。

ここは、別荘族さん達がたまにお客さん連れて遊びに来る感じの場所で、小さい公園みたいでした。

茶色の小さいミンササ゛イが、私が気になるのか、数メートル離れた回りで飛び移りながら、

可愛らしくずっと囀っています。

 滝に着いてから気が付いたんですけど、ここは野生の熊の生息地なんだそう。

(そういえば家族が「山に行く時はラジオや鈴を付けて行くんだよ」と言ってたなあ…

ここも山なのかな。K井沢町の裏山みたいだけど。)

(どうりで(?)さっき歩いてる時、大型犬でもないような、前後にやや長い、長い爪の足跡が

あったなあ。ここの土手のとこにもあるみたいだけど。あれ、熊の?)

(こんなとこで出会ったら、食べ物持って無いし、走っても追いつかれるし、

少し高いとこに上って避けるか、もしも向かって来たら、闘うしかないな。

月の輪なら、大型でも身長だけは、多分私以下だし。でも、ミンササ゛イは普通に鳴いてるな。)

と、ちょっとヒヤヒヤしながら撮影です。

 無事に撮影も終わり、車に戻って「鬼押出園・火山博物館」に向かいました。

霧が結構出ており、周囲の山は見えません。

時折、オレンジや黄色の小鳥が飛び去ります。

森の中からは、可愛らしい鳥達の歌が聴こえます。

(とっても可愛らしく聴こえるけど、あれは縄張り宣言なんだって。ほんとは何て言ってるんだろう。笑)

 火山博物館は、8時半近いけどまだ開いていなかったので、また予定を変更して

先にお隣の鬼押出園に行きました。

 外は強風が吹いて寒いので、タ゛ウンジャケッ卜を着て入場。

入り口の橋の上では、可愛らしい小鳥達に会いました。

ずっと会いたかった「岩ツ八゛メ」です。

普通に町で見かけるツ八゛メ達よりも弱いので、こういった環境の厳しい場所でも繁殖するとのこと。

(この間、2000mのお気に入りの場所にも来ていたのかな?)

黒白2色のツートンが可愛い上、シッポがとても短くて、ツ八゛メなのにずんぐりした印象

です。

それにこのツ八゛メ、初めて気が付きましたが、足が白いんです。

靴下を履いてるみたいに、羽毛が生えているようです。

(あはは かわいいなー(笑) 寒いとこに住むからかな。)

ここの吹き溜まりがお家から近いのか、みんな一生懸命、少ししかない土や埃を集めています。

硬い地面を、とっても短くて小さなクチ八゛シで ツンツン ガジガジ。

(脳震盪を起こさないかな?あの大きな瞳に、泥が入って傷が付いたりしないかな。痛くないかな)

と思うほど一心につっついて、がばっとくわえて行きます。

(みんな元気でまた旅立てたらいいな。)

と思いながら、私も一生懸命撮影。

でもモ一ドを間違えてたのと、離れているのとでうまく撮れません。

けど、あんまり近くに行くと、みんな飛び立ってしまって、巣作りの邪魔になるし。

とりあえず、これで良いことにしました。(笑)

 鬼押出は、1783年の大噴火によって生まれた溶岩の原だそうです。

富土山の、沢山の穴の開いた溶岩とは違い、普通の岩のような巨大な溶岩が、

一面ゴロゴロしています。「両輝石安山岩」と言うのだそうです。

この時の大噴火で、麓の村は一瞬にして埋まってしまい、

吾妻川は熱泥流で氾濫し、流域で1600名以上もの死者を出したそうです。

気軽に観光として来たこの場所ですが、その悲劇を知って、被災者の方々に心から同情しました。

 夏には高山の花々が咲き乱れると言うこの場所ですが、まだ時季が早いので、殆ど緑はありません。

ヒ力りコ゛ケも冬眠中と書かれていましたが、とにかくカメラの性能を信じて試してみました。

そしたら、撮れました(笑)。とっても嬉しかったです(笑)。

 この苔を撮影している時、雨も本格的になってきましたが、山頂(火口)から風下にあたるこの場所、

だんだん「ドブ」のような臭いがしてきたのです。

ここより高い部分には、火口と観音堂があります。

観音堂売店から出る下水の臭気とも考えられますが、ここは活火山山腹。

もしも硫化水素だったら。

昔理科の実験で嗅いだ臭い、箱根のおおわく谷で嗅いだその臭いとは違いますが、

もしもそうで、油断していて動けなくなったらお終いです。被害者第一号にはなりたくありません。

早々にヒ力りコ゛ケの撮影を終えると、コースを変えました。

(ここの職員の方には伝えたけど、「大丈夫」とのことでした。)

 表参道から、ニ天尊像の前を通り、水盤舎、炎観音、鐘つき堂、浅間山観音堂をゆっくり回りました。

時折、岩の間を覗きますが、やっぱりヒ力りコ゛ケは見えません。

なかなか難しい植物なんだなあ、と思いました。

 次は火山博物館です。

ここは、大きな道の駅みたいな建物の奥に、小さな博物館がついていました。

天明の大噴火の時の資料や、火ロのモ二タがあり、様子を知ることが出来ます。

何故か暖房されていなかったので、建物の中がとても冷えていました。

 次は、ここに来る途中で看板を見かけた、鎌原観音堂に行きました。

ここは、天明の大噴火で埋没した当時の村の一角。

もともと50段あった石段が、「土石雪崩れ」で35段が埋まってしまったそうです。

当時人口600名程だった鎌原村で助かったのは、ここに上ることができた94名だけ。

その後の発掘調査で、現在の地表から下5m程の石段の上で、2名の女性が折り重なって

倒れているのが発見されたとの事でした。

 その石段は、今も上15段が普通に使われていますが、私は上る時に申し訳ない気がして

少し考えて、そっと上りました。

当時不幸に遭われた方々はどんな気持ちだったことでしょう。被災者の方々のご冥福をお祈りしました。

                                       ~旅2へ続く~